蛭子能収の名言 「競艇の必勝法は1、2、5、6のボックス買い」

「人生に勝ち組、負け組なんてないと思いますよ。もし誰かに『お前は負け組だ』と言われたとしても、
『ああ、いま俺は負けているのか』くらいの軽い気持ちで考えていればいいんじゃないでしょうか。
万が一にも、落ち込む必要なんてまったくありません。所詮、勝ち負けなんてものは、
そのときだけのもの。今日ツイてるからといって、明日もツイてるとは限らない。
むしろ勝っているときこそ危ないというのはギャンブルの定説です。」
(2014年「ひとりぼっちを笑うな」より抜粋)
「悪人中の悪人が産ませた子供なんていうのは、もう即座に殺さなければいけません。
親と子供たちは別だ、なんて甘い考え方でいるとひどい目にあいますからね。
悪の血を根絶やしにしてこそ平和な世の中が訪れるのですから。本当ですよ、みなさん。」
(1996年「笑う蛭子の副作用」より抜粋)
「(自分の)家族全員が揃うと楽しいと思っていた私だが、他人の家族が揃って幸せそうな
顔を見せると私はムカツク。他人の家族はあくまでもバラバラでポーズだけでも良いから
不幸せなふりをして欲しいと思う。コマーシャルで、なんとかチャーミーといって若い夫婦が
手をつないでタップダンスをする。それを年老いた夫婦が見て同じようにダンスを踊る。という、
あのコマーシャルを見るとヘドが出る。子供が出て来て、わざとらしいセリフを言わせる
CMもぶっとばしたくなる。それ程に私はファミリーというものを他人に限って見たくないのである。」
(1986年 漫画「家族天国」あとがきより抜粋)
「長崎出身の私としては、あの忌まわしい原爆の事が頭にこびりついて離れません。
今現在、所沢でこの文章を書きながらも原爆で死んでいった友人や母や近所のおばさん達の
亡霊が私の背後から『原爆は恐ろしかばい』『原爆の二度と落ちんように祈っとかんとね』とか
言うもんで私の頭の中は原爆の事やら、この文章の事やら、次のマンガのストーリィやらが
ごちゃごちゃになって、なかなかビシッとした文が書けないでいるのです。実際には母は長崎で
ちゃんと生きているし、戦後生まれの私には原爆の落ちた頃に友人がいる筈ありませんがね。」
(1985年「エビスヨシカズの秘かな愉しみ」より抜粋)
「新興宗教のトップ以外の人たちは教祖の言う通りに動いているだけだからロボットと一緒です。
指示されて命令通りに動いているだけだから、それはもう血の通った人間じゃありません。
せっかく人間に生まれてきたからには、自分で考えるという最高の楽しさを捨ててはいけません。
自宅にも時たま『なんとかの証人』という宗教団体の人が子供を連れて勧誘にやってくるんです。
ああいうのはいったい何やってるんだ、って言いたいですよ。」(1996年「笑う蛭子の副作用」より抜粋)
「私は鳥や動物に対して全然愛情がない。一度だって犬がかわいいとか猫がかわいいとか思ったことがありません。
だって食ってるんですもん、動物や鳥を。このあいだテレビに出た時、動物園というテーマでちょっと話をしましたが、
皆、動物園は廃止すべきだっていってました。私もそう思います。動物を、あんな一箇所にかためて置いてる所で見て、
喜ぶ人の気が知れない。人間は動物を見たら食うべきで、動物は人間を見たら襲って来るべきです。」
(1991年「くにとのつきあいかた」より抜粋)
「この世にはありとあらゆる職業があって、誰かしらがそれをこなしているわけだから、
仕事に上下の差をつけるという考えが間違っているのだ。人に必要とされるものに差別があっては
ならないとオレは思う。」(2007年「こんなオレでも働けた」より抜粋)
「数年前『モノンクル』という雑誌を伊丹十三が創刊させましたが、ちょうどあの頃は私が漫画家として
独立したての時でした。モノンクルという雑誌には斬新な漫画家とかイラストレーターが起用されていて、
私もこういう雑誌に漫画かカットを使ってくれたらいいなーと一人で夢想していたのです。
特に、ガロで私と同時期に入選となって漫画家としてデビューした増村博さんが連載で、しかもカラーでさし絵を
描いていたのが、とても羨ましく思われ、な、なんで伊丹十三は自分に声をかけてくれないんだ!!と
悲嘆に暮れていたのでした。ところが、そのモノンクルという雑誌も割と早い時期にツブれてしまい、
ホッとしました。私を羨ましがらせる全ての物は崩壊してしまえ、というのが私の偽らざる本性であります。」
(1985年「エビスヨシカズの秘かな愉しみ」より抜粋)
「公明党の信者って、なんでそう熱心なのか不思議だが、相手の気持ちを考えない
わがままな人ばっかりの集まりなんだろうなーと思う」 (1996年「正直エビス」より抜粋)
行ってしまいそうで心配でたまりません。蛭子先生は十年後の日本はどうなってると予測されますか。
できればバラ色であって欲しいのですが。(福岡県 喫茶店経営者 36歳)
A.蛭子能収
「私は朝、新聞を見て嫌なことがたくさんあるほうが好きなんですよ。
事件は少ないより多くあったほうが面白いと思う。そういうことから考えて十年後の日本は、
できればメチャクチャになってて欲しいなーと私は思うのです。殺人、暴力、強奪、
金持ちが貧乏になり貧乏は金持ちになる。新幹線は脱線し富士山は爆発、原発から放射能が
漏れて四国全域が隔離され、ジャンボ機が国会議事堂に墜落と。しかし、全ては私に関係なく起こり、
私はそれらの事件を遠くから眺め、悠々自適な生活を送っているという風なのが望みです。」
(1993年「なんとかなるかも」より抜粋)
これほんとすき
金権政治のみにくさを見るようで情けなくなってきます。また国会で野党がやる“牛歩戦術”。あれが国民の代表だなんて恥ずかしい限りです。
このような事態を蛭子さんはどうお考えになりますか。(福井県 KTさん 32歳)
【A】蛭子能収
よく分かんないですけど、私は昔から自民党がよくないんじゃないかと思うんですよ。
それとは別に以前、『社会新報』から仕事がきましてね。なんか文章を書いてくれって依頼されて、
「ギャンブルの話でもいいですか?」って聞いたら「それはちょっと困るんですが」って言われたんですけどね。
そんなことがありまして野党の中でも社会党は結構なんじゃないですかねえ…仕事くれますし…
自民党が仕事くれたら自民党がよくなるかもしれないなあ。まア、その時により、いろいろでいいんじゃないでしょうかねえ。
でも、マスコミ関係の人って革新みたいな人が多いカンジがするんですよ。それで革新支持のようなコトでいっておけば、
仕事がやりやすいんじゃないかと考えましてねえ。だから野党の悪口はあまり言えないんですよ。
(1993年「なんとかなるかも」より抜粋)
芸能人の政治に対するスタンスとして一番いいんじゃねえかな
「そういうデマは流しっぱなしにしておけばいいんです。そのデマがきっかけで仕事が入ることがあるかもしれませんからね。」
「人間というものはだいたい1歳から2歳くらいまでの記憶は無いですから、
魂が入ってないようなものです。未完成品なのですね。だから、この子を育てても不幸になると
思ったら、2歳くらいまでの子供を親が殺して始末してしまうことは、
法律で許可してもいいんじゃないでしょうか。」(1996年 笑う蛭子の副作用より抜粋)
正直、主人を亡くすより悲しいかもしれません。ペットロス症候群を防ぐにはどうすればいいですか?
【A】蛭子能収
今はまだ猫が生きているのだったら、悔いの残らないように、最後まで精一杯大事に飼ってあげたらいいんじゃないですか。
オレの女房も猫を飼っていたんですが、その猫が亡くなる前は、面倒くさかったけど、オレが毎日のように病院に連れていっていました。
だから死んだときも、そんなに悲しまなかったですね。あとは1年に1回は墓参りに行っていますけどね。
そもそも猫や犬などの動物と人は気持ちが通じ合わないもの。通じ合うとすれば、それは人間の思い込み。
そう思うと気持ちも楽になるかもしれませんよ。
オレは小さいときからペットを飼った記憶もないし、動物と一緒にいて癒やされたこともありません。
ハッキリいって動物には興味がないんですね。だから競馬ものめり込まない。
この前も新潟競馬場で、全然勝てなかったですから。やっぱり競艇ですよ!
(2015年「蛭子能収のゆるゆる人生相談」より抜粋)
ペットから競艇に話を持っていく流れが草
野球でたとえたら現実じゃおいつかん大リーグボールですわキレッキレの
どうしてぐう畜ってこうも魅力的なんやろなあ・・・
J民も本音包み隠さずぶちまけたらこれよりひどいこと言ってるやろ
この前のファミリーヒストリーで父親の生い立ち知って涙流した蛭子さんすき
葬式で笑えんで
面白いしええけども
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